『絶対に、この日は空けておいてね!』
何度も念を押されなくてもそのつもりだった。
年を越してから俺達は互いの事情でゆっくりと二人っきりになれる状況ではなかった。
だからこそ、今日だけは…恋人達の日と称される2月の14日だけは快斗の為だけに空けておこうと…そう思っていた。
…なのに。
「お疲れ様、工藤君」
「悪かったね、急に呼び出したりして」
事件が解決してホッとしたのだろう。にこにこと笑みを浮かべている目暮警部と高木刑事に新一も笑顔を向けた。
「いえ、お役に立ててよかったですよ」
今いる場所にふさわしい完璧な笑顔を取り繕い、その場を後にした。
毛の長いふかふかの絨毯を踏みしめて、いかにも高級そうな廊下を新一は一人ゆっくりと歩きだす。
ここは都内の某高級ホテル。このホテルの最上階が今日の現場だった。
所謂遺産相続を巡る対立によって起こった誘拐。幼い子供が巻き込まれ、時間も限られている状況で新一が要請を断る事は出来なかった。
無事子供も保護され、犯人も逮捕された。事件は解決したのだ。
それでも、新一の心が晴れる事はない。
…快斗のやつ、怒ってるだろうな
約束の時間からすでに6時間以上は経っている。いくら今から急いでもすでに快斗はいないだろう。
もうあいつとは一週間以上顔を合わせていない。会いたいのに…。
でも、これでもう愛想を尽かされたのかもしれない。次会う時は別れを告げられるかもな…。
ただ、『せめて14日だけは時間を空けておく』という約束すら果たす事ができなかったのだから。
「何やってんだよ…俺は」
足を止めて、一面に大きく張ったガラスの前に立った。
目の前には鮮やかなネオンがキラキラと輝いている。この中に快斗もいるのだろうか。
ガラスの向こうの景色を眺めながら新一は思考の海に潜った。
そもそも、探偵である自分が怪盗と付き合うこと自体が間違っているのだ。
所詮相容れぬ存在。初めから無理だったのだ。
『好きだよ、新一』
そう告げられた時…いや、それよりずっと前から彼に惹かれていたのかもしれない。
だから迷う事無く受け入れた。それが間違いだったのだろうか。
付き合うと言っても表面上は何も変わらなくて、ただお互いへの想いを隠す必要がなくなったというだけ。
でも、学生という身分の上探偵と怪盗であれば必然的に二人っきりになれる事など多くはなくて……。
……。やっぱり、別れようか。
恐らく快斗もそれを望んでいるはずだ。こんな、簡単な約束すら守れない…しかも敵対すべき探偵で、同じ性を持つ人間に誰かそこまで固執するだろうか?
そう考えて急に胸が締め付けられるように痛んだ。
”別れる”と、そう考えただけでどうしようもない程苦しくなり、呼吸もままならない。
あぁ、そんなに好きだったんだ。快斗の事。
どこか他人事のように捉える冷静な頭でぼんやりとそう思った。
今更気づいても仕方ない。これ以上苦しくなる前に別れた方がいいのだ。今から電話してその事を伝えようか?
内ポケットに入れたまま、電源すら入れていない携帯に手を伸ばそうとして…出来なかった。
腕が鉛のように重く感じられ、思うように持ち上がらない。中途半端に上がった腕をそのままに、目の前のガラスに触れた。
ひやりとした冷たい温度が掌を伝って全身に広がるようだ。
「…か、いと…」
「呼んだ?新一」
力強い腕がふわりと新一の体を包み込んだ。
覚えのあるぬくもり、腕、そして声…。
「え…?」
いきなり温かい腕に閉じ込められ新一はさっきまで感じていた胸の痛みを忘れるほどに驚いた。
「快斗?…な、んで…?」
「なんでって…迎えに来たんだよ?事件、解決したんだろ?」
くすくすと耳元で笑う気配がする。柔らかい声に安堵しつつも、じわじわと再び冷たい何かが体を蝕んでいくのを感じた。
「怒って…ねぇの?」
「怒る?何、どっか怪我でもしたの?」
一瞬快斗の雰囲気が剣呑なものになり、抱きしめる腕が強くなった。
「や、怪我はしてない…けど。俺…約束破ったし……」
「あぁ…それね…」
声のトーンが僅かに低くなり、新一はビクッと体を震わせた。
あぁ、やっぱり……。
暫しの沈黙の後、温かいぬくもりから解放され、くるりと体を反転させられた。
必然的に真正面から快斗と顔を合わせる事になり、新一は慌てて目を逸らした。
「………」
「………」
何も言わない快斗に焦れてチラッと視線を上げると、どこか優しげに目を細めて笑っていた。
「怒ってるよ?新一を取っていった警察にね」
「え?」
「誘拐事件だったんだろ?それじゃあ仕方ないよな…でもま、暫く貸してやれないけどな」
そう言って再び新一の体を抱きしめた。
「あ、でも新一にもちょっとは怒ってるからね?」
携帯の電源は事件が解決したらすぐに入れるように。
「新一が中々連絡くれないからホテルの中探すの大変だったんだからな」
「ん……ごめん、快斗」
優しい恋人の背中に腕を回して、新一はそっと息を吐いた。
「早く家に帰ろう?チョコも用意してあるから」
「そうだな」
でも、もう少しだけこのままで…と腕を緩める事なくお互いのぬくもりを感じあっていた。
「で、なんで新一はあんなに不安そうだったの?」
「え?あ、あー…」
久しぶりに恋人に会って、少々…いや、かなり浮かれていた快斗が急に真面目になって問うてきたのはそんな事。
まさか、”快斗に愛想尽かされて別れを告げられるかもしれない”と思っていたなんて言ったら…どんな反応をするのか。
ましてや快斗に告げられるより先に自分から別れを告げようと考えていたなんて…。
「…なんでもない」
ふいっとそっぽ向いて顔を逸らした。快斗ほどポーカーフェイスが得意なわけじゃないから何が元で悟られるかわからないから。
「……新一君?」
「……なんだよ」
じっと見られている。視線の強さで逃れられない事に気付いた。が、正直に話したら反応が怖い。
怒るか、呆れられるか、それを機にやはり別れるという事になるか。
どちらにせよ新一の望むことではない。
「言わないと体に聞くよ?」
「っ…!」
あながち冗談とも取れない声に新一はびくりと体を震わせた。
「……別れる、かと…思ったんだよ」
「…は?」
「俺がこんなんだからお前も呆れて俺と別れるって…そういうと思ってたんだよ」
「なんで?」
「なんでって…」
事件となったら周りが見えなくなって、一緒にいる快斗でさえ目に入らない。
その上事件体質で何かとすぐに巻き込まれるこんな面倒な男を誰が恋人にしたいというのか。
そんな事を言ってみれば何故か快斗は少し怒ったような顔をして
「俺がんな簡単に手放すわけないだろっ」
一体新一を落とすのにどれだけ苦労したか。新一が離れたいとか言っても監禁してでもぜってー離さないからなっ!
と、不安に感じていた事が馬鹿馬鹿しく感じられるぐらい滔々と語られて新一はやっぱり快斗に言うんじゃなかったと後悔し始めていた。
…でも。
それでも快斗が好きで、快斗も自分を好きでいてくれて。
手放さなくてもいいと改めて思い知らされた幸せを感じながら日付が変わっても二人でバレンタインの夜を堪能していた。
***
…微妙ですけど、一応バレンタインなので…。
なんかこうもっと細かい描写とかできたらいいのにー…。新一クンの繊細な心の動きとかさー…。
何が書きたかったって”不安げな新一を後ろから快斗がそっと抱きしめる”ってのが書きたかっただけなんですよね……………ねぇ…。
まぁ、そんなこんなでハッピーバレンタイン☆
良いバレンタインを~